8万円の寄付ってしたことありますか?イスラム教の喜捨から寄付を考える
- 2018.08.26
- バングラデシュ

みなさんこんにちは!松原です。
先日、イスラム教の犠牲祭に参加してきました。
一軒一軒、買った牛をさばいていたんですが、そんな一頭分なんて家族じゃたべきれないですよね。余ったお肉どこにいくとおもいますか?
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貧困者へ喜捨として贈る
犠牲祭では牛をさばいた後、家族の分を残したら他の分を地域の貧しい方々へ分け与えるんです。
今回、僕が手伝った牛は11万円ほどの価値がある牛だったんですが、3分の1の肉を家族で、そして3分の2の肉を地域の人へ分け与えることになりました。
実に約8万円分ほどの寄付です。しかもこれ、うちだけではなく、牛を買えた家庭はみな実施しているんです。
多くの人が月給2万円とかで働いているこの国で8万円は相当大きな額。日本人からしてみるとなぜそんな多額な寄付ができるのかと思う人も多いのではないでしょうか。
実は、この寄付はイスラム教の「喜捨」と呼ばれる教えに基づくもの。
イスラム教では貧しい人たちに施しを与えるようにという教えがあります。
例えば、日本にいると海外に行った際に物乞いからお金を求められた際に渡すべきかどうかという議論が起きているのをたまに目にしますが、バングラデシュの人たちは道端でお金を求められたら、少額ながら手渡す光景をよく目にします。
以前、うちの会社の副社長(バングラ人)と外を出歩きながら物乞いを目にした際に「僕たちは生きているけど、彼らは生き延びているんだ (We are living but they are surviving.)」だからちょっと渡しておいでと言われたこともありました。
ストリートチルドレンにお金を渡すことでその裏にいる犯罪組織が大きくなるのを手伝ってるとか、自立を促せないとかいろんな見方がありますが、こっちのひとは素直に救おうという気持ちで施しを与えているんですね。
イスラムの人たちにとって寄付は当たり前のことだし、それによって相手も自分も救われるという考え方がベースとなっています。
最近、日本でもクラウドファンディングなどを通して以前より寄付に馴染みが出てきたところではあるかと思いますが、これは挑戦する人のための寄付。
イスラム圏でいう寄付とはまた色が違いそうですね。
こういう違いを見ると一体寄付ってなんなんだろう?って考えてしまいますね。
あなたにとって寄付とはなんですか?
それでは本日はこのへんで。
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