幸せのあまったところで生きる

幸せのあまったところで生きる

ここ半月くらいとある企画で哲学書をぱらぱらと読み進めているのですが、哲学と言ったら話題に上がるのが「幸せ」について。

大学入ってから、「幸せそう」とか「長生きしそう」とか「ストレスなさそう」とかよく言われるようになりました。

せっかく考える機会を得たので、なんでストレスが少なく幸せそうに見えるのか理由の言語化を試みたいと思います。

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幸せの余剰範囲

実はわりとこれらの人から言われることは自覚していて、人よりかはストレスの少ない生活を送っている気がします。

これ、なぜかというと自分が「幸せの余剰範囲」で生きていることを認識しているからです。

言い換えると、自分が幸せを感じる最低ラインを知っていると言えるでしょう。

例えば、物質的な豊かさとか経済的な豊かさなど諸々考慮して幸せを10段階に分けたとしましょう(厳格な基準はもたず主観でいいです)。

そして自分はどの位置で十分な幸せを感じるかイメージしてください。

ぼくの勝手な想像ですが多くの人は5段階目とか6段階目くらいが幸せの最低ラインになるのではないでしょうか?(平均より上ならいいみたいな考えから)

その場合、最低ラインを超えて6〜10段階目のことを幸せの余剰範囲と呼んでみたいと思います。そしてこの余剰範囲にいる限りは幸福に包まれているわけです。

多くの人は10を目指して努力して行くわけですが、この過程で理想とする10と自分の今いる段階とのギャップを目の当たりにすることがストレスだったり不幸を感じる要因の1つでしょう。

しかし、ギャップでストレスを感じてしまうのではなく、ちょっと客観的にことを眺めてみると、自分はすでに余剰範囲のなかにいることを確認することができます。少し失敗したとしても幸せの範囲内にはいるんですね。

これがぼくの思うストレスを減らし、幸せを享受していることを感じるコツかと思います。

ぼくの場合、自覚している限り自分の幸せの最低ラインは2もしくは3くらいでそもそもの最低ラインも低めです。

というのも農家という何もない田舎の代名詞みたいなところで生まれ育ったこともあって、都会で生まれ育った人たちとはバックグラウンドが異なります。

それでも田舎で不満を感じることはなく、ぼくの場合はここがベースとなっています。

東京に行っただけで物質的な豊かさなどを十分に感じられる素地があるので幸せのベースラインは低めとなっています。(田舎が都会に幸福度的に劣っていると言っているわけではなく、ぼくの場合は都会の物質的な豊かさで幸せの上限が上がる可能性があるというだけです)

常にここ数年はこの最低ラインを下回っていることはないので10を目指す中でストレスを感じることはあろうとも必要以上に大きく感じることはありません。

そして、この余剰範囲にいることを認識している間は、何か挑戦しようと思って失敗することが怖くなっても最低ラインまでは下がっても大丈夫と思えるので心に余裕ができます。

もちろんこの最低ラインに達していない場合は環境を変えるか、最低ラインが高すぎる可能性があるので時には下げる必要もあるかとは思います。

しかし、これが「幸せそう」「長生きしそう」「ストレスなさそう」と言われる理由だと思います。

自分の幸せの最低ラインを認識し、幸せの余剰範囲にいることを知ることで肩の荷が下りて生活が幾分らくになるかと思います。

少しでも参考になれば幸いです。それでは!