イスラムの犠牲祭に参加してみた

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みなさんこんにちは!松原です。

本日は、今回の休暇の目玉、犠牲祭に参加してきたのでそのお話を。

刺激が強い話ですが、食物に関する感謝の意は間違いなく深くなる大事なことだと思うので書き残しておきます。

(動物を捌く描写があるので苦手な方はお控えください。)

 

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犠牲祭とは?

イスラム教には大きな祝祭日が年に2回あり、1回目がラマダン(断食月)明けのイード・アルフィトル。

そして2つ目の祝祭日が今回のイード・アルアドハ(犠牲祭)です。

この犠牲祭はイスラム教の預言者イブラヒムが自分の息子を神様への生贄に捧げたことにちなんで牛やヤギなどを神様の犠牲に捧げます。

食物に感謝をするとともに、捌いた後の肉は近所や貧しい方々に分け与えられます。

昨年はこの犠牲祭の日にバングラデシュでは900万頭の牛が犠牲に捧げられたようです。

朝はお祈りから

犠牲祭の朝はお祈りから始まります。

特別な朝ごはんだぞ!と言われ甘いおかゆのような朝ごはんを頂いたら近所のみなさんが集まるモスクへ。

1時間近くのお祈りやらお話やらが終わったらいよいよ牛の準備です。

(ここに関しては地域差があるようで、インドネシアでは前日の夜から一晩中モスクでアザーンというお祈りの時の詩が読み上げられてました。前日からするか、当日の朝祈るかは地域ごとなんですね。)

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締める

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まず、牛を締める前に行うのが直径3,40㎝、深さ50㎝ほどの穴を掘ること。

穴が掘り終わったらいよいよ牛の足を縛り上げます。暴れても蹴られないようにするためですね。

それから、成人男性5人ほどで押さえながら牛の首を先ほどの穴のもとへ。

そしてどこからともなく、すでに他で締めてきたのか、血まみれのおじさんがよく研がれた長い刃物を持って現れて、牛の喉元を裂いて行きました。

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喉を切られているので牛の鳴き声は聞こえませんが、声にならない空気の音とともに鮮やかな血が流れ出てきます。

先ほどの穴は血がたまるように掘られていたんですね。この穴なかったらあたり一面血の海になってたんじゃないでしょうか。

捌く

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牛を締めたらおじさんたちが慣れた手つきで牛を解体していきます。

皮を剥いで、足を外して、お腹開いて、頭もとって。

次々に剥ぎ取られるブロックがシートの上に並べられていくころ、今度は小さな包丁を持った家族が出てきます。

彼らに「一緒に切ってみるか?」と声をかけられ、少々気がひけたものの、以前「なんで日本人は牛肉好きなのに肉にするのはできないんだ?」と聞かれた時に上手く答えられなかったのを思い出し、手伝うことに。

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切り出されたばかりの生肉はまだ温かく、さっきまで生きていたことが肌を通じて伝わってきます。

普段日本で目にする肉はすでに冷やされており温もりなんて1ミリも感じませんが、肉本来の姿を見た気がしました。

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食す

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そんな肉を細かく切り分ける作業を1時間くらい続けていたら疲れてきたので他の人に交代。

ちょっと横になろうと部屋に戻ったらいつのまにか寝てしまいました。笑

少し経って起きると庭先にわらわらと人が集まっておりなにかとのぞいてみると、大きな鍋でカレーが完成間近。

捌いたばかりの牛肉でビーフカレーをいただきました。

新鮮な身は非常にやわらかく、口の中で優しくほどけるようで、おいしくいただきました。

おわりに

日本で生活していると精肉された状態でしかほとんど目にしませんが、犠牲祭のように年に一回、自分たちで締めることで食や生きることへの感謝を忘れないようにしているのは非常に素敵な文化だなと感じます。

喉に刃物をあてるときは目を背けたくなりますが、しっかりと直視してこそ本当の感謝の念が生まれるのではないでしょうか。

日頃忘れがちな生への感謝、みなさんも少しでいいので思い出してみてください。

それでは!