【バングラ回顧録No.04】仕事より文化に焦点をあてた1ヶ月
- 2018.12.27
- バングラデシュ

みなさん、こんにちは!松原です。
バングラデシュでのインターンを終え、帰国に伴って、現地での生活を月次で振り返っています。
前回は日本への一時帰国をしていた3月のできごとを振り返りました。
本記事では再びバングラデシュに戻った4月のできごとを振り返ってみようと思います。
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対話を通して文化を学ぶ
4月はバングラデシュの新年「ポヘラ・ボイシャキ」があったこともあり、ベンガルらしい文化に触れることが多い月でした。
そこで意図的に友人や一緒に住んでいた社長との話を通して文化を学ぼうという姿勢をとってみたんです。
個人的には「ベンガル」という人たちのことをよくわかっておらず、「イスラム」とくくって考えており、インドネシアに住んでいたこともありイスラムのことについてはわかった気でいました。
しかし、実際にはイスラムを土台にしつつも、ベンガルは独自の文化を有しています。
例えばバングラデシュの多くの人はムスリムなのでアラビア語を解する人が多いのですが、公用語はベンガル語。
バングラデシュはこのベンガル語を守るためにパキスタンから独立した背景もあり、ベンガル人としてのアイデンティティを強く持っています。
そのため、個人的な見解ですが多様性を好むと言うよりは同じベンガル人同士で強いつながりがあります。
その「つながり」をもとに海外にも出稼ぎに行くなどベンガル人の生活が見えてきました。
参考:4月14日はベンガル新年「ポヘラ・ボイシャキ」
中東への渡航者が多い?バングラの出稼ぎ事情について話をきいてみた
バングラデシュの生活を知る
文化を知る中で、バングラデシュ人の生活についても学びを深めました。
その生活というのは首都ダッカの暮らしではなく、人口の8割以上が占める地方での暮らしです。
バングラデシュは国土が日本の3〜4分の1程ですが人口は3000万人ほど多くなっています。そのためダッカは人口過密地域となっていて、一軒家は少なく、多くの人はビルの中の1件を借りて住んでいます。
一方で、地方は一軒家の中で家族みんなで住んでいます。それらの家は木でできた枠組みにトタンで壁を取り付けたものも未だに多く、電気が通ったのもここ数年の話というところもいたるところに存在します。
お世話になった社長の実家もその例に違わず、日本人からすると驚きの多い作りとなっていました。
未だに頻繁に停電はしますし、夜には街灯もないのでスマホで道路を照らして歩くような暮らしでした。
ダッカに住んでいるとバングラデシュの生活を履き違えてしまう可能性がありますが、地方の生活も経験できたのは本当の暮らしを知る上でいい時間となりました。
参考:バングラデシュの村ってどんなところ?社長の実家いってみたよ
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まとめ
4月はバングラデシュの文化を多く学んだ1ヶ月。
仕事については短期の滞在でも知ることはできますが、文化は長期の滞在だからこそ感じることができるのではないかと思います。
個人的に海外に行くなら長期がいいという思いが結構あって、その魅力はここに集約されているのではないかと感じますね。
みなさんも、ぜひ。
それでは!
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