【バングラ回顧録No.02】「個人」としての外国人

【バングラ回顧録No.02】「個人」としての外国人

みなさんこんにちは!松原です。

日本への本帰国を前に、1年のバングラ生活を月別に振り返り、記録しています。前回の記事はバングラの想像を上回る仕事の量に圧倒された1月の話でしたが、本記事は2月を振り返ってみます。

SPONSORED LINK

仕事に慣れたはいいものの。。。?

バングラに渡って1ヶ月が過ぎ、多岐にわたる仕事にも慣れてきましたが、実はこの頃から「仕事以外」のところでストレスを感じるようになりました。

ストレスと言っても、シャワーが水しかないとか、ご飯がカレーしかないとかそういったものではありません。「扱われ方」にストレスを感じるようになったんです。

1月から引き続き頻繁に学校を回っていたのですが、さすがに一ヶ月いるとぼくもベンガル語の簡単な挨拶も覚えるようになります。

こっちからベンガル語で自発的に挨拶して学校の先生や生徒と溶け込むのはいいんですが、この頃から身内のとあるスタッフからベンガル語の挨拶を強いられるようになります(彼は楽しんでいたんでしょうけれど。。。)

“Show your Bangla skill!”

と毎回言われるのに対して「外人は見世物か」と反骨精神を抱いていたものです。

ほかにも、地方に行くと何の躊躇もなく「こちらJICAの方です。」とされるので、さすがに嘘はやめてくれと伝えると「これからJICAで働くひと」という言い回しになり「はあ。。。」とため息をつくこともしばしば。

ただ、正直、嘘というか「盛る」ことが途上国で使われることはよくあることなので、そこまで驚きはしないんですが、「日本人」としての自分しか求められておらず「一個人」として接されなかったという印象を受けたのがストレスの原因になっていたように思います。

外国人も「個人」

海外にいったり、ある国の話をするときはしばしば「〇〇の国の人は〜〜だから」なんて話をしがちです。

もちろん、国民性といえば間違ってはいません。その国の文化や慣習に基づいて生活しているので大枠では大きくずれることはないでしょう。

しかし、その大枠を「個人」に当てはめる、もしくは「個人」を見ずにただ自分の持っている外国人のイメージを個人に押し付けることは違うのかなと思います。

ぼくもバングラデシュにきて良くも悪くも「日本人」として扱われることに違和感を感じることが多々あったので、自分も「個人」に焦点を当てようと思うようになりました。

海外にきて扱われ方でストレスだけ貯めることもできますが、自分に置き換えてそこから学ぶことも多いかと思います。

これから海外に行く方などもぜひ「個人」を見るようにしてみてはいかがでしょう?もともともってたイメージの枠から外れたその国の別の側面も見ることができるかもしれません。

そんなことを思った2月でした。

それでは本日はこのへんで!